カテゴリー別アーカイブ: TED

【TED】ビル・ゲイツ「教師へのフィードバックでもたらせる変化」

私的要約:

 教師という仕事には、その仕事の良し悪しへのフィードバックと、ベストプラクティス的なものを見聞きする機会がまったくと言って良い程存在しない。
 しかし、例えば授業を録画して見直すことなどにより、自身の授業内容や方法への反省を行ったり、良い授業方法とは何かを体系化していくことはできる。
 そのような手段を実際に講じるために、ゲイツ財団の見積もりでは50億ドルの費用が必要だと見積もっているが、実はこれは教師へ支払われる給与総額の2%に満たない額でしかないため、莫大な額という訳ではない。
 ゲイツ財団ではすべての教室がこのようであることを目指している。

私的感想:

 これは日本の事例にあてはめてもそうだろうと思う。
 教師が自身の授業を映像として見直す環境はないだろうし、教師同士のピアレビュー環境が存在するのは教育実習の時くらいだろう。
 具体的な方法論としてゲイツ財団のやり方がどうであれ、教師毎の教育内容と教育方法、総じての教育効果の検証と同時に保証は本来あってしかるべきであろう。
 それは教育をサービスとして捉えるからという理由ではなく、少なくとも初中等レベルの教育が義務教育であり平等性を根本的に担保する必要があるという理由からに他ならない。
 教師自身が行う授業の録画によるフィードバック、教師同士のピアレビュー、模範的な教育・授業戦略を体系的に織り込んだベストプラクティスのパターンなど、教師に対するフィードバックシステムの構築がもたらす教育活動への影響は疑うべくもないだろう。

 教育心理学とか学習心理学の研究の中にも、学習者の学習効果を指標とした研究のみならず、教師の教育方法の向上効果を検証指標とする研究はもっとあっても良いと感じた。少なからずありそうだけれども、機会があればチェックしてみたい。

【TED】セルゲイ・ブリン「なぜグーグル・グラスなのか?」

私的要約:

 セルゲイブリンが率いるGoogleグラスチームは、スマートフォンの画面へ視線を落として注視するあり方が、今後のコミュニケーションのあり方として続いて行くものか常に疑問に思っており、それがGoogleグラスプロジェクトのきっかけだったと言う。
 そして、Googleグラスはこれまでのデバイス利用のようにデバイスへ常に注意を向けるあり方ではなく、よりユーザに自由な情報との付き合い方を可能にするものだと主張している。

私的感想:

 よく、携帯が出てきた頃に、社会学的な観点から、「公共空間に親密圏が入れ子状態になっている」という指摘があったと思う。
 それはどういうことかと言うと、友人と口と耳を仮想的に近づけあって会話するという親密な状態が、電車の中や街中という公共空間において可能になったということを指摘していた。また、電話による対話が、通常の対面的状況の対話よりも親密度が高くなるという統計的調査もあったように思う。

 そのような状況の中、スマートフォンの普及によって、「公共空間を個室化」する利用方法が卓越してきたという状況があった。それは現在進むタブレット端末の市場競争の激化の中でも増す増す進んでいる状況であろう。
(早稲田大学の社会学部准教授土橋臣吾さんなどは、女子高生の携帯利用の参与観察などで同様のことを指摘していたと思う)

 このトークでブリンは、Googleグラスは、常に画面を注視する必要がなくより自由な状況を作ることができると指摘している。
デモの映像から受ける印象もそのようなものだ。

 ともあれ、Googleグラスのようなデバイスは、個人と社会とのインターフェイスとして、社会の中に個室を作る形で社会との隔絶を推進してきたこれまでのデバイス進化のベクトルを変えるものであるのだろうか?

 その点に着目しながらこのような新技術が社会にどのような影響を与えるか考察して行きたい。
 現状では、社会に個室を作ってきたこれまでのデバイス進化のベクトルを変えてくれるものとして、期待感を持っているというのが個人的な印象である。

【TED】ジェームズ・B・グラットフェルダー 「世界をコントロールしているのは誰か?」

私的要約:

 今回も要約は割愛。感想内で充分話の内容へ要約的に記述していると思われます。

感想:

 「複雑系」の研究者と聞くと、自身も遠からぬ理論体系出自であるため、特別な感慨を覚えざるを得ない。「創発」などといったキーワードは、「社会システム理論」や「オートポイエーシス」といった理論を背景に持っている私にすれば、まさにホームグラウンドになるはずであった(今は会社員をしています)。

 しかし、著者のネットワーク分析、複雑系的な観点からの経済分析の結果は非常に興味深いものだ。

 第一点目に、多国籍企業の支配力は0.1%の株主に非常に偏っており、さらにその1割以下に多国籍企業全体の40%を支配可能な支配力が固まっていると分析できるということ。
 第二点目に、そのような支配力の偏りは、集中した支配力の中にある種のバグが生じた時の影響力が大きいことを示しており、リスクの高い経済システムであるということが示唆できるということ。

 二点目については、バグが生じた際のリスクは確かに大きいが、その際に生じうる「システム」そのものの自己組織的な再組織化がどのように働くか次第で、かなりの揺らぎが生じると思うので、想定される一般的なリスクよりは結局低い影響に留まると思うというのが私見なので、そこまで意識する必要はないように思える。

 しかし一つの観点から提示された分析でしかないのだが、第一点目の指摘のように、そこまで偏りがあるように分析されうる現在の(分析対象を多国籍企業に絞ったとはいえ)経済システムは、世界全体としてそれが平等や公平と呼ばれるものでは全くなく、市場の自由によって価格均衡が実現されるような世界ではないことを端的に示してはいるだろう。もちろん、世界が平等や公平であるべき、などという陳腐な固定観念を排しても、偏りがあるという事実は知っておく価値がある。

 要するに、一部のエリートの(ある程度)意のままに操られるのが世界の実情ではないか、というようなありきたりな疑問を確信に変えてくれる力のある分析結果のように思える。
 もちろん話者の言うように、それは「システム」の「創発」現象としてシミュレートできたため、フリーメーソンなどのような陰謀論が真実であるということを意味している訳ではないが。

 ともあれ、非常に面白い分析結果だなぁと思いました。

参考

元になっている論文
The Network of Global Corporate Control

リンク

私的要約:

カナダのタールタン族やブリティッシュインディアン族にとって神聖なる地とされる地域の環境保護の話である。
そこは豊かな資源地として様々な企業による開発計画が興っているのだが、そこにある自然の神秘性やそもそもの豊かさから、そこを保護したいというのが話者の主張である。

感想:

いや、単純にまじすごい景観過ぎてめっちゃ見に行ってみたいというのが第一印象で、カヌーかなんかで河をのぼっていけるらしい。すごいいってみたい。
話のメインはよくある話っちゃ話で。開発と環境保護のトレードオフの話。
開発を論じることも人類レベルで重要な問題やし、環境保護を論じるのも同様に重要な話やけど、
前者は経済的な話であり、後者は道義的(CO2のように排出量がビジネスイシューにならない限り)な問題系となるから、そこの議論はいつも難しいなぁと思う。系が違う問題は適切な翻訳ができないと議論が成立し得ないから。
さらに言えば、現地の原住民から言えば信仰、つまりは宗教の話にもなる。

いずれにせよ先進各国には2030年までにクリーンエネルギー率をどこまで引き上げるかについての目標が設定されていたはずやし、そっち側の努力でなんとか環境保全側に傾けられないものか。いや、ここで私がそう言うのは、行ってみたいって理由からだけやねんけども。

【TED】スガタ・ミトラ「クラウド上に学校を」

私的要約:

 話者の願いは一言でいえば、「未来の学習をデザインすること」という話者自身の言葉によって表現されていた。
 彼は実験的に、インドの誰もコンピュータの使い方など知らない路肩にコンピュータを設置し、それを利用して子どもたちが自発的な学習を行うことを幾度にも渡って実証してきた。それは、英語すらわからない子どもたちが英語でしか使えないコンピュータを利用できるようになるまでから、ゲノムの構造についての学習に至るまで、である。
 また、その自発的学習には「励まし」が有効であり、それだけで学習効果が圧倒的に向上するということもわかった。
 近代社会は官僚機構という巨大マシーンを構築し、それに当てはまる置き換え可能なパーツとして個人を構築してきているが、これからの社会は自由で自発的な在り方が求められ、社会のサブパーツのような個人が求められる訳ではない。
 だからこそ彼は、未来の学習を新たな形でデザインしたい。そのためのデータ収集をしてきているし、それを推進するためSOLEというクラウド型学校も構築してきている。
 だから、そのモデルをみなさんにも試して欲しく、それら実際のデータから未来の新たな学習の形態をデザインしたい。
 それが彼の望みであり、試みである。

感想:

 マジでまさにこういうことを自分は卒論でも修論でも描きたかったという内容で、彼は実践者であり、私は理論的素描をしようとしたといったところだろう。
 あと、トークの面白さというかウィットな感じは半端ないなぁ。
 というより何より、こういった実験を教育学者出自ではないであろう彼がやっているというのも皮肉なものである。
 とはいえ、まさに社会が変わって行くことと教育が変わって行くことはある種両輪であるかのように連動していないといけないことだけは真理である。教育は全く変われて来ていないように思うけれど。

 私自身は社会の変化がいかなるものであり、その空間編成と時間編成がどのようなものになるかについてある程度予見を立て、それとの関連において総合的に教育をいかにプロジェクトして行くかをデザインしたいと思っている。
 だから卒論においては、都市という空間編成内において、近代的な計画的教育がどのように位置付け得るかを論じようとした。
 修士論文においては、情報化によって仮想的に拡張された社会空間において、近代的教育がどのように位置付け得るかを論じようとした。
 そして、その双方に共通するものは、計画された教育ではなく学習の環境の構築に対してしか、もはや我々が教育と呼ばれる営為に計画的にコミットできることはないのではないか?という結論であった。換言すれば場の提供やルールのアウトラインの提供までを行うことしかできず、その上で自由な発達に任せることしかできない、が、その放任こそがむしろ近代が本当にはなし得なかった自発的で自由な個人を作り出す逆説的可能性を持っているのではないか?と。(私は行動経済学などにも興味があるが、この辺りの言葉から行動経済学的だと想起された方も多いだろう)。

 ともあれ、私自身が理論的に考えていた一つの実践形態が既に20年近くも前から存在したことに驚きを感じつつ、この大いなる可能性に私も何かの形でコミットしたいものだなぁと感じた。
 私の場合、都市空間の設計などともセットでこのようなクラウド型学校をいかに位置付けるかも面白そうなどとも思うけれど、まずは彼が記述しているであろう論文や実験結果をあたることから始めたい。

 なんにせよ、いやーすごいなー、可能性あるなー、って思った。

【TED】スチュアート・ブランド: 絶滅種再生の夜明けとそれが意味すること

私的要約:

今回は割愛。感想の方でトークの概ねの趣旨もご理解頂けるものと考えます。

感想:

これは正直微妙な話題やなぁ。

ゲノムの塩基配列をすべて修復し、そこからクローン技術を利用して絶滅種を復活させることができるという、それほどまでの技術を人間がほぼ手中にしているという現状についてまず驚きを持って認識した。本当にそれがすぐそこまでの可能性として考えうる所まで来ているんだなと。

とはいえ、では、そういった復活を人為的に行うことにどこまで手放しで賛成することができるのか。
クリスが最後に質問でそれについて尋ねていたが、それへの話者の応答は特に納得いくものではなかっただろう。
「過去に人間の介入によって壊された生態系の回復だ」という理屈だけでは、当然納得はいかない(もちろん本気の応答が許される時間があれば、相当膨大な応答可能な考察があるだろう)。

とはいえ、いずれにしても、人間が陥りがちな人間を生態系の外部と見なす視座に立っていなければ、話者が推し進める再生プロジェクトは是認し得ない。
そもそもその視座に立つということをどこまで私たちは是認しうるのか。その検証には多大なる歴史的事実の検証が少なくとも必要だろう。
可能であれば、その部分に関する話者の更なる話を聞きたい。

生命倫理などを専門とする倫理学者の展開する一般論と、その議論にどのようなものがあるのかを、補論として押さえていかないと、何一つ踏み込んだ感想を述べる権利すら得られないなぁ。

【TED】ジェニファー・グランホルム「クリーン・エネルギー計画 — トップへの競争」

私的要約:

 冒頭で三つの問題について話すといっていたが、二つの問題と、二つ目の問題への話者の意見という形だったように思う。
 まずは一つ目の話題だが、アメリカ国内での雇用問題についてだった。
 アメリカ国内では、賃金の安価なメキシコなどへの工場移転が沢山あり、そのことによってコミュニティレベルでの失業者が発生するというような自体が当たり前に起こっている。それを政治的にどうにかすることができないのか。
 二つ目の問題として、環境技術についてアメリカは中国を筆頭に外国に遅れをとっている。ではこれを政治的にどうにかすることができないか?
 そしておそらく三点目の話題が、話者のこれらへの対応策が述べられ、オバマの教育の州単位の競争戦略に倣い、州単位で環境エネルギー問題への競争的な取り組みを促進する政策を取れないかというもの。
 非常に具体的に、東部州では海上風力発電について、北西州などでは地熱発電、南部州ではバイオ発電など、それぞれの州ごとに強みを伸ばしながら競争的にクリーンエネルギーの導入を行い、それによる雇用も創出できるだろうという話を展開している。
 そして、政策的にそれが難しくても、ボトムアップで企業が連携したりTEDの聴衆が協力し合うことでそういったパワーになることができれば素敵ではないかと訴えている。
 最後には、2030年までにクリーンエネルギー率80%を標榜しているし、国際的にその分野で遅れを取っていると皆が実感している状況で、その競争にコミットしないて静観するよりはコミットする方が良いでしょ?と。
 それが話者の訴えであった。

感想:

 アメリカがクリーンエネルギー関連では、太陽光パネル等は完全な輸入依存で他国に遅れを取っている意識を持っているらしいというのは新鮮だった。
 また、アメリカの話になると、人種の混ざり合った中で弱者としてのヒスパニックなどへの観点が他国の我々からすると強くなるが、よくよく考えてみれば日本が介護労働などをフィリピン人に委託したり、企業の工場を東南アジアに移動したりすることで、国内雇用力が空洞化するのと同様のことが、アメリカでも起こっているのは自明のことであったのだが、そこに着眼できてなかったことに気づけたのもある種新鮮。
 なんか最近はTPPにかこつけたアメリカの日本への不平等条約押し付け感とかに苛立ちばかり感じていたが、なんか少しアメリカに対し優しい気持ちになれた。
 とはいえ、許すまじきTPP秘密交渉TPP圧力感はあるが。

【TED】アマンダ・パーマー 「“お願い” するということ」

私的要約:

 路上でパフォーマーをやっている時代に話者は、「仕事をしろ」というような罵声を浴びせられてきた、彼女にとってそれが仕事であるにも関わらずだ。
 それは現在クラウドファンド的に音楽活動が成功をおさめられるようになった現在も変わっておらず、彼女には「お前にはみんなの援助を受ける資格がない」といったアンチなWebサイトが作られたりしている。
 しかし、彼女にとっては路上パフォーマンスを行っていた時の観客との触れ合いと同様、クラウドファンドで援助してくれるファンとの交流は、「信頼」をベースにした繋がりである。
 彼女はファンを信頼するが故に、自身を信頼してもらえるように最高のパフォーマンスをライブであれ無料の音楽配信であれ行う。そしてその彼女の信頼に応えるようにファンは彼女を助け、援助する。
 自己の恥を捨て、他者との「信頼」関係を構築するところにこそ、彼女のようなクラウドファンド型のアーティストが存在する所以である。

感想:

 一時期、ウェブ社会への論評において「信頼社会化」するというものがあった(社会心理学者の山岸俊男だったと思う)。実は私自身、彼の著作における「信頼社会」がどのような意味で使われていたかを把握するまできちんと目を通していないが、私自身もある意味でオープンで個人が露呈するようになったウェブ社会の肯定的可能性として、市民がより市民化する、未完のプロジェクトだった近代的市民が強化されるような作用が働くかもしれない、と感じたことがあった。その考えは、gov2.0系の思考とも相容れるものだろう。彼らは政体の変更よりもその先にある市民の市民性の向上のようなものをこそ目的としている。
 話は逸れたが、話者の言うようなあらゆる自分を恥を捨ててさらけ出すことで、逆に受け容れられ信頼関係を構築して行くということは難しく見える。少なくとも現在の私にはそのようなメンタリティは持てない。
 しかし、もしかするとデジタルネイティブ以降の世代は彼女のような考え方が当たり前になっているのではないか?というような感覚は拭いきれない。
 様々に遍在する自己を分人的に遍在させたまま、様々な人々と「信頼」関係を取り結ぶ。その時「信頼」という言葉が指し示すものが今私たちが考える「信頼」と全くの同義であるかはわからないけれど、肯定的なウェブ社会の一つの姿が彼女のあり方にはあるだろう。
 もちろん、岡田斗司夫や株式会社Genronなどを想起しなかったわけではないが、そのような可能性は有意な一つの可能性として期待と共に見つめて行きたいと思った。

【TED】エディス・ウィダー: いかにして巨大イカを見つけたか

私的要約:

大王イカのような巨大海洋生物の探索が、話者の知恵によって彼らを驚かせない探査方式を活用することでうまくいった。

これは非常にamagingな発見であるのだが、実のところ海には95%以上の未知の領域が残されている。

話者は、そういった未知のところにこそ新たな発想や発見が生まれる萌芽が潜んでいるにも関わらず、海洋探索への資金の集まりが悪いことを悔しがる。NASAのような海洋探索機関があればと訴えるのである。

感想:

大王イカすごいでかいしなんて鮮明に捉えられているだ!!!という驚きがまずある。

とはいえ、話者の主張のメインは、海洋探索には未知の領域があまりにも残されているにも関わらず、宇宙探索に比べあまりにも投じられている予算が少ないという事実への悲嘆である。

話者が言うようにイノベーションや新たな知見は探検や未知の領域にこそ存在する。確かに革命や革新的な出来事は常に辺境から生まれてくると言うのは歴史的に真と言って良いことだと思う。観点を変えて言うならばそれは例えば、近代民主主義の萌芽が当時は西欧の辺境でしかなかったアメリカにおいて独立戦争という形で起こったことなどからも例証できる。だからこそ我々は、ある種荒廃してしまった東日本の悲劇をも、逆に肯定的に、事故によって発生した革新を起こしやすい新たな辺境として肯定的に捉えることもできるはずだ。

話題は大きく逸れてしまったが、話者のような海洋探索を行う科学者にとって歯がゆい事態は起こっているのだろう。

宇宙ではない私たち地球の外部としての海洋探索へより注目が集まることを期待したい。

【TED】カケニャ・ンタイヤ : 学校を求めた少女

私的要約:

マサイ出身の女性である話者が、高等教育を受けられるまでに至り、国連で仕事をしながら故郷に女性専用の学校施設を作るに至った話。

彼女の生まれ育った地域では女性は成人の通過儀礼としての割礼で多くが命を落としたり、女性に基本的な人権すら認められていないような状況が日常的な状況のままである。

しかし、彼女がアメリカに留学できるにまで至り、故郷のそういった状況を変革し、徐々に女性の人生選択の幅を広げる活動をするに至っている。

彼女が訴えるのは、私たちがまず行動することで、世界は一つずつでも変わって行き、私たちの子ども、孫の世代のために少しずつでも平和な世界を作って行こうというメッセージだった。

感想:

私たちはやはり恵まれているし、それ故に何かをやろうと思えばやれる立場にある。そのようなことを思い出させてくれる意味で見る価値があった。

それにしてもマサイの一部の部族では未だに女性式割礼の儀式があり、それにより命を落とす女性が沢山居るという事実は衝撃的である。しかも、ケニアの法として認められていないにも関わらず。結局のところ国家がそれを捕捉できていないのだろう。

アフリカ映画祭などを主催する団体(シネマアフリカ)の代表の方が語っていたように、アフリカ映画ではやはり未だに呪術やおまじないといったものがありふれたもの(むしろ主流)であると語っていたけれど、映画などの文化が未だ入り込まない位の田舎なエリアを想定するとやはりそういった通過儀礼は今もあるんだなぁと納得する面もある。とはいえ、通過儀礼などを前時代的負の遺産などと決めてかかっているわけではないが。

とはいえ、アフリカ映画の中心地はナイジェリアの首都のように栄えている地域だったりするので、マサイの話と安易に繋げてはいけないが、
呪術や慣例としての命がけの通過儀礼が当たり前のような地域のその地域性を否定せずに、それでもやはり変えねばならないことは変えて行くこと。
さじ加減は難しいが、小さくとも行動することの重要性を訴えかけられる話だった。