タグ別アーカイブ: 教育

【TED】ビル・ゲイツ「教師へのフィードバックでもたらせる変化」

私的要約:

 教師という仕事には、その仕事の良し悪しへのフィードバックと、ベストプラクティス的なものを見聞きする機会がまったくと言って良い程存在しない。
 しかし、例えば授業を録画して見直すことなどにより、自身の授業内容や方法への反省を行ったり、良い授業方法とは何かを体系化していくことはできる。
 そのような手段を実際に講じるために、ゲイツ財団の見積もりでは50億ドルの費用が必要だと見積もっているが、実はこれは教師へ支払われる給与総額の2%に満たない額でしかないため、莫大な額という訳ではない。
 ゲイツ財団ではすべての教室がこのようであることを目指している。

私的感想:

 これは日本の事例にあてはめてもそうだろうと思う。
 教師が自身の授業を映像として見直す環境はないだろうし、教師同士のピアレビュー環境が存在するのは教育実習の時くらいだろう。
 具体的な方法論としてゲイツ財団のやり方がどうであれ、教師毎の教育内容と教育方法、総じての教育効果の検証と同時に保証は本来あってしかるべきであろう。
 それは教育をサービスとして捉えるからという理由ではなく、少なくとも初中等レベルの教育が義務教育であり平等性を根本的に担保する必要があるという理由からに他ならない。
 教師自身が行う授業の録画によるフィードバック、教師同士のピアレビュー、模範的な教育・授業戦略を体系的に織り込んだベストプラクティスのパターンなど、教師に対するフィードバックシステムの構築がもたらす教育活動への影響は疑うべくもないだろう。

 教育心理学とか学習心理学の研究の中にも、学習者の学習効果を指標とした研究のみならず、教師の教育方法の向上効果を検証指標とする研究はもっとあっても良いと感じた。少なからずありそうだけれども、機会があればチェックしてみたい。

【TED】スガタ・ミトラ「クラウド上に学校を」

私的要約:

 話者の願いは一言でいえば、「未来の学習をデザインすること」という話者自身の言葉によって表現されていた。
 彼は実験的に、インドの誰もコンピュータの使い方など知らない路肩にコンピュータを設置し、それを利用して子どもたちが自発的な学習を行うことを幾度にも渡って実証してきた。それは、英語すらわからない子どもたちが英語でしか使えないコンピュータを利用できるようになるまでから、ゲノムの構造についての学習に至るまで、である。
 また、その自発的学習には「励まし」が有効であり、それだけで学習効果が圧倒的に向上するということもわかった。
 近代社会は官僚機構という巨大マシーンを構築し、それに当てはまる置き換え可能なパーツとして個人を構築してきているが、これからの社会は自由で自発的な在り方が求められ、社会のサブパーツのような個人が求められる訳ではない。
 だからこそ彼は、未来の学習を新たな形でデザインしたい。そのためのデータ収集をしてきているし、それを推進するためSOLEというクラウド型学校も構築してきている。
 だから、そのモデルをみなさんにも試して欲しく、それら実際のデータから未来の新たな学習の形態をデザインしたい。
 それが彼の望みであり、試みである。

感想:

 マジでまさにこういうことを自分は卒論でも修論でも描きたかったという内容で、彼は実践者であり、私は理論的素描をしようとしたといったところだろう。
 あと、トークの面白さというかウィットな感じは半端ないなぁ。
 というより何より、こういった実験を教育学者出自ではないであろう彼がやっているというのも皮肉なものである。
 とはいえ、まさに社会が変わって行くことと教育が変わって行くことはある種両輪であるかのように連動していないといけないことだけは真理である。教育は全く変われて来ていないように思うけれど。

 私自身は社会の変化がいかなるものであり、その空間編成と時間編成がどのようなものになるかについてある程度予見を立て、それとの関連において総合的に教育をいかにプロジェクトして行くかをデザインしたいと思っている。
 だから卒論においては、都市という空間編成内において、近代的な計画的教育がどのように位置付け得るかを論じようとした。
 修士論文においては、情報化によって仮想的に拡張された社会空間において、近代的教育がどのように位置付け得るかを論じようとした。
 そして、その双方に共通するものは、計画された教育ではなく学習の環境の構築に対してしか、もはや我々が教育と呼ばれる営為に計画的にコミットできることはないのではないか?という結論であった。換言すれば場の提供やルールのアウトラインの提供までを行うことしかできず、その上で自由な発達に任せることしかできない、が、その放任こそがむしろ近代が本当にはなし得なかった自発的で自由な個人を作り出す逆説的可能性を持っているのではないか?と。(私は行動経済学などにも興味があるが、この辺りの言葉から行動経済学的だと想起された方も多いだろう)。

 ともあれ、私自身が理論的に考えていた一つの実践形態が既に20年近くも前から存在したことに驚きを感じつつ、この大いなる可能性に私も何かの形でコミットしたいものだなぁと感じた。
 私の場合、都市空間の設計などともセットでこのようなクラウド型学校をいかに位置付けるかも面白そうなどとも思うけれど、まずは彼が記述しているであろう論文や実験結果をあたることから始めたい。

 なんにせよ、いやーすごいなー、可能性あるなー、って思った。

【TED】カケニャ・ンタイヤ : 学校を求めた少女

私的要約:

マサイ出身の女性である話者が、高等教育を受けられるまでに至り、国連で仕事をしながら故郷に女性専用の学校施設を作るに至った話。

彼女の生まれ育った地域では女性は成人の通過儀礼としての割礼で多くが命を落としたり、女性に基本的な人権すら認められていないような状況が日常的な状況のままである。

しかし、彼女がアメリカに留学できるにまで至り、故郷のそういった状況を変革し、徐々に女性の人生選択の幅を広げる活動をするに至っている。

彼女が訴えるのは、私たちがまず行動することで、世界は一つずつでも変わって行き、私たちの子ども、孫の世代のために少しずつでも平和な世界を作って行こうというメッセージだった。

感想:

私たちはやはり恵まれているし、それ故に何かをやろうと思えばやれる立場にある。そのようなことを思い出させてくれる意味で見る価値があった。

それにしてもマサイの一部の部族では未だに女性式割礼の儀式があり、それにより命を落とす女性が沢山居るという事実は衝撃的である。しかも、ケニアの法として認められていないにも関わらず。結局のところ国家がそれを捕捉できていないのだろう。

アフリカ映画祭などを主催する団体(シネマアフリカ)の代表の方が語っていたように、アフリカ映画ではやはり未だに呪術やおまじないといったものがありふれたもの(むしろ主流)であると語っていたけれど、映画などの文化が未だ入り込まない位の田舎なエリアを想定するとやはりそういった通過儀礼は今もあるんだなぁと納得する面もある。とはいえ、通過儀礼などを前時代的負の遺産などと決めてかかっているわけではないが。

とはいえ、アフリカ映画の中心地はナイジェリアの首都のように栄えている地域だったりするので、マサイの話と安易に繋げてはいけないが、
呪術や慣例としての命がけの通過儀礼が当たり前のような地域のその地域性を否定せずに、それでもやはり変えねばならないことは変えて行くこと。
さじ加減は難しいが、小さくとも行動することの重要性を訴えかけられる話だった。

【TED】ダフニー・コラー「オンライン教育が教えてくれること」

ダフニー・コラー「オンライン教育が教えてくれること」(20:41)

http://www.universalsubtitles.org/es/videos/Yt7cqjrEF6Jp/ja/376040/

【私的要約】

オンライン教育による教育の可能性への提案〜(彼女の立ち上げたcourseraを通して)〜

OCWには素晴らしい講義がたくさんあるが、講義形式では習得率に問題がある。
そのためには以下のような学習への効果的なサポートが必要。
その中でも、チューターの有無というのが、学習の習得に対して大きな影響力を持つ。

  • 講義中に確認問題をさせる(全ての受講者に講義での問いかけへの応答を強いる)
  • 通常の講義のような履修期間・締切などを設定する
  • テスト実施と自動化されたフィードバック・チューター制度によって習得のサポートを行う

※ 確認問題や練習問題を講義内、ならびに習得内容の確認において実施し、
OCWの大量の受講者からテスト結果などの大量データを収集することができる。
マッシブデータを利用することで、仮説駆動ではないデータ駆動的に受講者の失敗へのサポートを構築しておくことができるので、
パーソナライズ化されたチュートリアル制度を自動化されたものを提供することが可能だという言明が、トークの大きなポイントとして存在。

【所見・感想】

非常に説得力があった。
世界レベルで質の良いOCWがあふれる現在の状況において、

  • 学習をサポートするカリキュラミングをコーディネートすること
  • ネットを通じてできるオリジナルな価値を付加価値として活用すること

というシンプルな仕組みが、本当に有効性の高いものとなりうるんだな、と感じた。

何かができないときに学べないという環境がなくなっているので、
言い訳が利かないことだらけになってるな、とも。

とはいえ、

  • OCWをいかにキュレーションするか
  • 個人の学習への適切なカリキュラム設計

というシンプルな2つの発想のサービスが、現状特にそんなにないなと思いました(調べてはないです)し、
安直やけどそういうものってもっとわかりやすく存在しても良いなと思いました。

別途、このようなマッシブデータを活用することによって、「質的調査を量化する」というのはここ数年のトレンドではあると思いますが、
本当にきちんとした質的調査を置き換える可能性がこのような方法論にあるかと問われると、現状個人的には懐疑的。
きちんとした質的調査は、大枠で、

  • 技能としての質問調査能力や背景として要請される現象学的知識などが問われる
  • 何を量的に調査すべきかの予備調査のために、インタビューなどを行い予備調査、分析を行う(この予備調査自体が一つの研究成果となるレベル)
  • 質的調査を元に量的調査を作成し、実施、分析を行う。

というようなプロセスを踏みますが、
ターゲット選定や調査項目設計の精緻さなどにおいては既存のこのような方法論のほうが優れている部分は多いと思います。
ただ、こちらの方がミクロな調査にはその精緻さにおいて向いているとは思いますが、
視点を引いてマクロに一度全体を見直すにおいては、新たな方法論の寄与する部分が大きいと思うので、
うまく補完し合うような方法論として使い分けられるようにできるとベストだな、と思います。

【参考】

彼女の立ち上げたサービス
https://www.coursera.org/

Daphne Koller on Wikipedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Daphne_Koller
専門はコンピュータサイエンス系、機械学習などですが、教育に関する引用とかも正確なものだったと思いました。

【関連URL】

彼女の立ち上げたサービスの中の人が行っていた、別のTEDトークもあったので挙げておきます。
ピーター・ノーヴィグ「10万人が学ぶ教室」(6:12)

中の人としてのノーヴィクが語る、カリキュラム作成の具体的な内容の詳報な感じ。

  • テストを行う
  • 締切を作る
  • フィードバックを行う

という仕組みを組み込むことの実施と効果検証についてのトークという感じ。